リーダの責任について

以前、この日記で触れた「リーダの責任」について、日ごろ思っていることを書いてみます。
リーダがすべきことは、実は、二種類しか無い。

  • 決断をすること
  • その決断の責任を取ること

日常の作業は、無数の決断で成り立っている。その決断は、普通個人に対して行われるもので、その責任も個人が取る。ところが、リーダの場合は、チームに対して決断を行い、チーム全体の責任を取る。

チーム全体の責任とは何か。それは、チーム内外から「期待されていること」をやり遂げることだ。チームとは何かしらの目的意識を持った集団であり、その集団の存在意義は、目的を達成することである。であるならば、目的地へ向かって前進することが、チーム全体の責任である。

日々の言動や行動で個人的な信用や評判が上下するのと同じ理屈で、チーム全体の評価も、一つ一つの決断で上下する。ただし、個人の評価の明確な基準は存在しないが、チームの評価には、たいてい明確な基準が存在する。つまり、チームが、機能的にその責任を果たしているか、というのが評価しやすい。

リーダとは、チーム全体の責任を担う「個人」のことである。だからこそ、決断する権利を与えられている。「決断の責任を取る」というのは、チームに下した決断の結果に対して出てくる明確な評価に対して、「個人的」に責任を取ることだ。チーム全体の評価が、リーダ個人の評価になる。だからこそ、リーダの責任は重い。

さらに、チームのメンバへの責任もある。チームに参加しているメンバは、通常、リーダの決断を無視できない。よって、リーダの決断で不利益を受ける可能性がある。その責任を取るのも、リーダの役割だろう。チームのメンバが、自分でリーダを選ぶことができない場合は、なおさらである。

これらの責任の重さが、リーダという個人に、多かれ少なかれプレッシャーを与える。そこから逃げることは、個人としての評価を大きく下げることになる。目的が明確である以上、決断を下さないことでその目的を達成できなかった場合、責任を取るのは、やはりリーダだからだ。

まとめると、リーダとは、以下の二種類の定義を満たす個人ということになる。この定義を満たさなければ、それはリーダではない。

  • 決断をする権利を有するもの
  • 決断の責任を取る義務を担うもの