暗黙知

当たり前のことをよく考える。

「○○って××」なんだね、と理解する瞬間がある。色々なピースが、シンプルな言葉で抽象化されるのだ。そして、理解した瞬間、それは 100% 自明の理屈であるため、ちょっと気恥ずかしくなる。そんなことも思いつかなかったのか自分は、と。

ところが、それが 100% 自明であると断言できるのは、当然自分の中だけであって、世間ではそうとは限らない。人生をエセ統計的に見て、私の理屈が世間の理屈とマッチしているかと言うと、どちらかというとしていない。よって、私が当たり前だと思ったことは、世間では「真理の発見」かも知れないし「たわ言」かも知れない。

最近、これをアウトプットしてみようかなとも、ちょっと思った。どうせ「真理の発見」と「たわ言」は紙一重だ。いや、もちろん自然科学的にはそんなことは無いかもしれないが、私の思考内容は、どうせ抽象化された何かである。データの裏づけなんて何も無い。自分にとっての鰯の頭だ。

例えば、「リーダの仕事は責任を取ること」とか、「論理的思考には限界がある」とか、「男性のセックスに対する願望の多様性は、アダルトビデオショップに行けば把握できる」とかだ。書き出してみると、とてもつまらない。もう、赤面してしまうくらい。いや、まじで書いていて消したくなってきた。

ただ、本当につまらないかどうかは、これを見ているあなたが判断することだ。だから、あえてこういう暗黙知を持っているよ、と書いてみるのも良いのかもしれないと思った。
なお、上記のエントリについて、詳細キボンヌな方は、コメントでもどうぞ。