[自分] 私がライトノベルに拘る理由

少し違う話から入ります。

私の育った家庭では、自由に漫画を買うこと、自由にテレビゲームをすること、自由にテレビを見ること、自由にお菓子を買って食べることが許されていませんでした。そもそも、お小遣いをほとんど貰っていませんでした。夏でも冬でも、門限は 17:00 でした。小学校高学年の頃の記憶として、正座して泣きながら数学の問題集をさせられていた覚えがあります。
私の性格が、一般的な基準から見て少し (人によっては大きく) 歪んでいるのは、そのせいもあると思います。もちろん、私が世間が高学歴だと認める大学を、ほとんど努力もせず (強制されない勉強は好きだったので) に現役合格できたのも、その歪みのおかげです。

代わりに私が小学校の頃に獲得した娯楽は、小説でした。小学校三年生の時に、司馬遼太郎の時代小説を読み始めたのが最初で、後は、もう手当たり次第に読みふけりました。無料で本を貸し出してくれる図書館は、私にとっては聖地みたいなものでした。

しかし、代用品はあくまで代用品な訳で、本物に対する欲求も、ずっと持ち続けていました。再放送していた『ガンダム』が見たい。クラスのみんなが見ている『仮面ノリダー』が見たい。自分の冒険の書を作って『ドラクエ3』がしたい。アニメの『ドラゴンボール』が見たい。友達に借りた少年ジャンプで読んだ『幽々白書』の第一話を読んで、あまりの面白さに母親にコミックスの購入許可を申請して蹴られた覚えがあります。説得材料が「面白い」からだったので。

さて、もう展開が読めてきた人も居るとは思いますが、そんなある日、私はライトノベルと出会いました。小説『機動戦士 Z ガンダム』です。角川文庫版ではなくて、講談社(?) の古い奴。フリマ (当時、そんな言葉あったかな……) で三冊 100 円だったのですが、それすら持ち合わせが無くて、友達にお金を借りた覚えがあります。家に帰ってすぐに読みました。何度も何度も読みました。それだって代用品だったのですが、でも、当時の私にはそれが精一杯の妥協点だったとも言えます。何にせよ、過去は変えられません。

それからは、『ロードス島戦記』『スレイヤーズ』『フォーチュン・クエスト』『アルスラーン戦記』『無責任艦長タイラー』(………ああ、きりがない) と読みふけり、今に至る訳です。それなりに長いライトノベルの歴史の中で、きっと一番幸せな時間の一つに数えられるであろう、この時代に、私はど真ん中ストライクで思春期を過ごしたのでした。

今でも、ライトノベルを読みます。はっきりと、ライトノベルが好きだと言えます。好きな理由は色々ありますが、何よりも

夢とか希望とか勇気とか愛とか、どーでもいいくだらない (とは思ってないけど) ことを真剣に書いてくれるから

です。うーむ、我ながら、イタイこと言い切ったなぁ。